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前橋地方裁判所 昭和36年(わ)105号 判決 1961年12月22日

判  決

本籍

群馬県伊勢崎市連取町甲五八二番地

住居

同市福住町五〇番地

興行師

小島久夫

大正一五年四月一日生

右の者に対する暴行、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反、脅迫、恐喝、賭場開張図利各被告事件について当裁判所は検察官及川直年出席のうえ審理し次のとおり判決する。

主文

被告人を判示第一の傷害罪について懲役六月に、

判示第二乃至第一八の各罪について懲役五年に、

各処する。

未決勾留日数中、一八〇日を右の懲役五年の刑に算入する。

押収中のバツジ一九個(昭和三六年押第三〇号の一)および博盟会人名簿と題する書面綴(同押号の二)はいずれもこれを没収する。なお本件公訴事実中、「被告人が、昭和三五年一〇月一五日頃より同三六年二月二五日頃までの間五回に亘り狩野幸子より現金合計四〇、〇〇〇円を喝取した」旨の訴因について被告人は無罪とする。訴訟費用中、証人狩野幸子に支給した分を除きその余の分は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和三三年一〇月二七日頃伊勢崎市本町四丁目伊勢崎市役所附近道路上において先妻小島明子こと砂川明子(二五才)に対し些細なことから憤激し、手拳をもつて同女の顔面を三、四回殴打し、かつ雪駄履きの土足をもつてその顔面を蹴りつけ、因つて同女に対し全治迄約二週間の加療を要する右眼、外傷性虹彩炎、網膜震盪症兼結膜下出血の傷害を負わせ、

第二、根岸孝行、高橋八洲男と共同し、昭和三四年二月四日午後一〇時三〇分頃群馬県伊勢崎市南町一丁目三二番地先道路上において多賀谷栄二(三二才)に対し、自動車駐車のことに関し憤激の余、被告人において「おい俺の子分に因縁をつける気か俺は警察から赤札を貼られている暴力団の小島だ、よく憶えておけ、てめえ達のような藤四郎になめられる俺ぢやねえ、この野郎のしてしまうぞ」などと申し向け、矢庭に同人の胸倉を掴んでその頭部を数回電柱に打ちつけ、かつ又、根岸、高橋らにおいて「この野郎こつちに来い」などと怒号しながら、左右より同人の肩、胸などを掴まえて数メーター引き摺り、もつて数人共同して他人に暴行脅迫を加え、

第三、昭和三四年三月一三日午前零時頃伊勢崎市南町一丁目一番地浅見印判店前道路上において、木村正明(二七才)に対し、些細なことに激昂し、手拳をもつて、同人の顔面を一〇回位殴打して暴行を加え、因つて同人に対し全治迄約七日間の安静加療を要する顔面打撲傷の傷害を負わせ、

第四、昭和三四年八月初旬正午頃、同市南町三丁目五四番地バー「コロナ」において浜田福恵(四九才)に対し、同人が家賃を払わぬと因縁をつけ素足にて同人の顔面を蹴りつけ、かつ手拳をもつてその頭部を三回位殴打して他人に暴行し、

第五、同年同月一九日午前一時頃前同所において、前記砂川明子に対し、同女が深夜営業をしたということに因縁をつけ、手拳をもつて三、四回殴打し、かつ雪駄履きの土足で蹴りつけ、因つて同女に対し全治迄約三週間の安静加療を要する左第七肋骨々折の傷害を負わせ、

第六、昭和三五年一月二五日午後一〇時三〇分頃同市南町一丁目一三番地バー・「ハレム」こと永井つぎ方前道路上において、輩下の羽尾伸也、高山正勝、高山守、新木茂男、碓永利一等を一列横隊に整列させて詰問中、偶々子分の若井昭一が「おやじさん俺に免じて勘弁してくれ」といつたのに憤激し、「うるさいお前がでる幕でない、引込んでいろ」等と怒号し、矢庭に平手をもつて前記若井の顔面を一回殴打して他人に暴行し、

第七、昭和三五年三月二二日午後九時頃、伊勢崎市福住町五〇番地の被告人方において、子分高橋八洲男の内妻内田孝子および境野芳夫等より、前橋市紺屋町一八番地キヤバレー・「モンテカーロ」において、相客と喧嘩し殴打された右境野が怪我した旨の連絡を受けるや、右事実を口実にして、同キヤバレー経営者等から治療代名義のもとに金員を喝取しようと企て、子分の根岸孝行、同前原鍋吉、同川野吉等を引具して、同キヤバレーに急行し同夜午後一〇時頃右根岸、前原両名をして同キヤバレー従業員香月英治こと朴且述(四七才)を同キヤバレー内より同店前の道路上まで両腕を抱きかかえて連れ出させたうえ、同人に対し、「俺は伊勢崎の小島だ、家の若い者がお前の従業員に殴られて怪我をしたがどうしてくれる」などと申し向け、同人が客同志の喧嘩で責任が負えぬ旨弁明するのに耳をかさず、「一体どうしてくれるのだ責任を負え」と執拗に繰返し、一方同人の身の上を案じて同所にかけつけた同店従業員数名に対し、「手前ら俺に挑戦するつもりか」と一喝し、更に紙片をかざして「このとおり診断書もあるのだ」などと申し向けて同人の胸倉を掴み、盛んに威勢を示す等し、暗に金銭の供与方を要求し、右朴等がその要求に応じなければ将来何等かの危害等を加えるかもしれない旨畏怖させ、因つて同月二四日午後二時頃被告人方において右キヤバレー経営者李万詐等から治療代名義のもとに現金三万円の供与を受けてこれを喝取し、

第八、伊勢崎市内の飲食店業者より所謂警備料乃至用心棒の料金又は飲代取立料等の名義で金員を喝取しようと企て、

(一)  昭和三五年九月六日午後二時頃バー・「ハレム」の経営者永井つぎ(四六才)を被告人方に呼び、同人に対し「客が飲食し代金を払わぬような場合にはその代金を取立ててやる、また若い者が乱暴したり客に迷惑をかけたりするのも押えてやる、その代りに毎月五、〇〇〇円宛出さないか」などと申し向けて出金方を要求し、同人をしてこの要求に応じなければ暗に被告人が首領である大前田一家の子分身内の者等より何等かの危害等を加えられるかもしれない旨感得畏怖させ、因つて、別表第一記載のとおり同月九日頃から同三六年三月五日頃までの間七回に亘り意思を継続して、いずれも同所で同女から警備料乃至用心棒の料金等の名義のもとに現金合計三五、〇〇〇円を交付させてこれを喝取し、

(二)  同年九月二五日午後三時頃同市住吉町二番地バー・「アド」経営者である遠藤須美子方において、同女に対し「飲み代の貸で取れないようなものはないか、そんなのがあつたら取つてやる、また俺のところの若い者で暴れる奴がいたら、いつでも電話をよこせ、押えてやる、その代り毎月五、〇〇〇円づつ出してくれ」との旨を申し向けて出金万を要求し、同女をしてこの要求に応じなければ暗に被告人又はその輩下の者等より右同女の営業上に何等かの危害等を加えられるかも知れないものと畏怖させ、因つて別表第二記載のとおり同年一〇月五日頃から同三六年三月一二日頃までの間六回にわたり意思を継続していずれも被告人方で同女より警備料乃至用心棒の料金等の名義のもとに現金合計三万円を交付させてこれを喝取し、

第九、同三五年九月二八日午前一時頃、前橋市一毛町三一番地飲食店「つたや」こと砂川明子方前道路上において、女関係のもつれに端を発し、小島勝利(三四才)に対し、輩下の前原鍋吉、中村三郎と共同して、右小島の顔面を数回殴打し、かつ足蹴りにする等の暴行を加え、

第一〇、昭和三五年一〇月一〇日午前零時三〇分頃、伊勢崎市南町二丁目三三番地先道路において、桜沢幸三(五七才)に対し、同人が被告人の輩下の中村三郎と内山進との喧嘩の仲裁に入つたことに関し「いい年をしやがつて、あの仲裁の仕方は何だ」などと因縁をつけ、矢庭に手掌をもつて同人の顔面を三回位殴打して他人に暴行し、

第一一、同年一〇月一〇日午後一〇時頃、伊勢崎市南町一丁目一六番地飲食店「永楽」こと高橋房子方において、偶々同家に飲食にきた藤生芳雄(四四才)に対し「お前が八百屋の親分か、たまげない、表に出ろ」などと因縁をつけ、矢庭に同人の胸倉を掴んで、同店前路上に引摺り出し、手拳をもつて同人の顔面を二、三回殴りつけ、その場に突き倒しさらに腹部を数回足蹴りするなどの暴行を加え、因つて同人に対し全治迄約四〇日の安静加療を要する左第一〇肋骨々折の傷害を負わせ、

第一二、同年同月二八日午前一時頃、前橋市一毛町三一番地砂川明子(二五才)方において、同女が被告人と離婚した後他の男と同棲していることに憤激し、「お前俺が女を持つたから、こんなことをするのか」などといいがかりをつけ、矢庭に手拳をもつて同女の顔面を三、四回殴打して暴行を加え、

第一三、昭和三五年一二月六日頃より同三六年二月一六日頃までの間合計六回に亘り別表第三記載のとおり伊勢崎市福住町五〇番地の被告人方二階六畳の間において賭場を開張し住谷元治外一三名の賭客を集め花札を使用し俗に「コイコイ」および「後先」と称する賭金博戯を行わせ、同人等から合計金一〇五、〇〇〇円位の寺銭を徴収して、利益を図り、

第一四、昭和三六年一月一七日午後九時三〇分頃前橋市紺屋町一八番地キヤバレー・「モンテカーロ」において、被告人が女給にビールをかけたことを注意した遠山こと梁庄吉(三三才)に対し、「手前は俺の上に立つ気か、手前みたいな奴は生かしておけぬ、殺してしまう、表に出ろ」などと激怒しながら矢庭に両手をもつて同人の襟首を鷲掴みにし、押しつけ、あるいは引張りながら、同人を表通りに引摺り出し、もつて他人に暴行し、

第一五、同年一月一七日午後一〇時頃、右同キヤバレーにおいて、前同梁庄吉と居合せた興南パチンコ店々主陳仁坤(三七才)に対し、「興南ではなぜ俺のところに年始に来ないのだ、俺はパチンコ屋の一軒や二軒潰すのは訳はないんだ。お前の店も潰してくれる」等と申し向けて同人をしてその財産に危害を加える旨を告知して畏怖させ、もつて同人を脅迫し、

第一六、同三六年二月下旬午後一一時三〇分頃、伊勢崎市南町三丁目三三番地福田よし所有のアパート玄関において、同アパートを訪問した新井英一(二五才)、高橋欽也(二八才)の両名に対し、同人等が来意を告げたことに対し、「何だ夜中に来て、でかい声を出しやがつて、てめえ等みたいな奴を見ると頭をぶち割りたくなる、若い者を呼ぶぞ」などと申し向け、矢庭に両名の襟違を掴んで、右アパート玄関より外に押出すなどし、もつて他人に暴行し、

第一七、浜田福恵等と共謀のうえ、賭金取立名義で金員を喝取しようと企て先ず浜田において、昭和三六年二月下旬午後一〇時三〇分頃、埼玉県北埼玉郡南河原村大字犬塚五三四番地雑貨商吉野理一郎(四〇才)方に赴き同所において、同人ならびにその妻相馬春江(二九才)に対し「今日という今日は現金を並べなければ帰れない、木刀で焼を入れられる」などと申し向け、同人等が恐れて現金五、〇〇〇円を差出すや「こんなちつぽけな金ではガソリン代にもならない、金ができなければテレビイとミシンとを持つて行く、俺の顔が立たないから夫婦揃つて小島方に行つてくれ」などと申し向けて前記五、〇〇〇円を投げ返えし、かつ深夜にもかかわらず、肺炎で安静を要する乳児を伴つた右春江等をして被告人方に連行したうえ、被告人において同女に対し、「どうしても話をつける、太い野郎だ、最低二〇、〇〇〇円を作れ」などと申し向け、浜田において「最低五〇、〇〇〇円は作らせなければ」などと申し向け、同女等夫婦をして、この要求に応じないなら、いかなる危害を加えられるかもしれないものと畏怖させ、よつてその頃右吉野方において吉野理一郎より現金二〇、〇〇〇円および約束手形二通(額面金三〇、〇〇〇円および金五〇、〇〇〇円)を交付させてこれを喝取し、

第一八、昭和三六年三月二八日午前零時三〇分頃、伊勢崎市南町二丁目三三番地旅館清風園こと岩次徳次方に宿泊中、偶々同旅館に宿泊していた石川武(三四才)が、誤つて被告人の部屋の扉を開けたことに因縁をつけ矢庭に手拳をもつて同人の顔面を二、三回殴打し、かつその襟首を掴んで引摺るなどの暴行を加えたほかさらに謝罪しに来た同人の内妻深町つる子(三八才)に対しても、「女のくせに生意気な」などと怒号しその頭髪を掴んで引き倒し、かつ腰部、腹部等を足蹴りするなどの暴行を加え、よつて石川武に対し、全治迄約三週間の静養加療を要する左眼外傷性虹彩炎、打撲傷、球結膜損傷を、深町つる子に対し、全治迄約一週間の通院加療を要する左下腿部挫傷の各傷害を、それぞれ負わせ、

たものである。

(確定裁判を経た罪)

被告人は昭和三三年一〇月二三日前橋地方裁判所において傷害罪によつて罰金八、〇〇〇円に処せられ、この裁判は同年一一月七日確定したものである。

(累犯前科)

被告人は(一)昭和二九年六月五日前橋地方裁判所において傷害罪により懲役一年六月に、(二)同年九月二一日浦和地方裁判所において暴行傷害罪により懲役八月に、各処せられ右(一)の裁判は同年九月二日、右(二)の裁判は同年九月二一日それぞれ確定し、右(一)の刑は同三〇年五月二一日よりその執行を受け同三一年一一月一七日その執行を受け終り、右(二)の刑は確定後直ちに執行を受け同三〇年五月二〇日頃その執行を受け終つたものである。

(情状)

被告人は本籍地で土木建築請負業をしていた亡父小島暢次の長男として小学校高等科卒業後上京し東京都新宿区角筈にあつた工学院に入学したが中途退学帰郷し父親の土建業を手伝い、昭和一九年二月頃海軍に徴用され横浜第二海軍航空廠に稼働中、窃盗詐歎罪により軍法会議において懲役一年六月に処せられ服役後、帰郷し再び父の許に働くうち昭和二二年二月二〇日窃盗罪によつて前橋区裁判所において懲役一〇月に処せられその後、昭和二四年以来、傷害、恐喝、暴行等の前科(総計一三犯)をかさねるに至り、昭和三一年一一月前記の刑を終えて、出所後は伊勢崎市福住町において小島興行社と称する興行師として演芸、芸能等の仲介斡旋等の業務を開始し、かたわら同三四年二月二七日頃伊勢崎市南町所在の料理店「双葉」において、伊勢崎近辺を繩張とする博徒大前田(田島栄五郎の末流)一家七代目の跡目相続ならびにその披露(宴)を催おし、以来大前田一家七代目貸元と称し、総勢約四〇名の輩下をもち、更に昭和三五年一〇月初旬頃よりは埼玉県ならびに群馬県等の博徒相互の親睦と連絡等を目的とする博盟会なる名称のもとに結成された団体にも加盟し、更に被告人が首領となつて博盟会大前田と刻したバツジを作り、これを自己の輩下の者等に配付使用させ、伊勢崎市ならびにその周辺等において暴力団として集団的勢威を誇示していたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示第一、同第三、同第五、同第一一、同第一八(被害者毎に別罪成立と認定)、の各傷害はそれぞれ刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条第三条第一項第一号に、判示第二、同第九の各暴力行為等処罰に関する法律違反はそれぞれ暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第二号に、判示第四、同第六、同第一〇、同第一二、同第一四、同第一六(被害者毎に別罪成立と認定)、の各暴行はそれぞれ刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第二条第三条第一項第一号に、判示第七、同第八の(一)および(二)(それぞれ包括一罪と認定)、同第一七(一罪と認定)の各恐喝は、それぞれ刑法第二四九条第一項(共謀の点につき同法第六〇条)に、判示第一三の賭場開張図利は同法第一八六条第二項(開張の都度一罪成立、六個の併合罪と認定)に、判示第一五の脅迫は同法第二二二条第一項罰金臨時措置法第二条第一項第三条第一項第一号に、各該当する。

しかして、前記判示第一の傷害罪は判示確定裁判を経た罪と刑法第四五条後段の併合罪であつて同法第五〇条により処断すべきものであるから情状により所定刑中懲役刑を選択し、かつまた前記判示累犯前科(一)および同(二)とは再犯の関係にあるので、同法第五六条、第五七条によつて再犯の加重をした刑期の範囲において右判示第一傷害罪について被告人を懲役六月に処する。

右以外の判示各傷害罪(判示第三、同第五、同第一一、同第一八)同暴力行為等処罰に関する法律違反(判示第二、同第九)、同暴行罪(判示第四、同第六、同第一〇、同第一二、同第一四、同第一六)同脅迫罪(判示第一五)についても情状によつて各所定刑中、懲役刑を選択処断すべく、また判示累犯前科(一)および(二)と判示第二乃至同第七の各罪、ならびに右累犯前科(一)と判示第八乃至同第一八の各罪との両者はいずれも、それぞれ再犯の関係に在るので刑法第五六条、第五七条、を適用して再犯の加重をし、かつまた、判示第二乃至第一八の各罪は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、同但書、第一四条、第一〇条によつて重い判示第一一の傷害罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲で判示第二乃至同第一八の各罪について被告人を懲役五年に処する。

なお、未決勾留日数について刑法第二一条を適用し、そのうち一八〇日を右の懲役五年の刑に算入する。

押収中のバツジ一九個(昭和三六年押第三〇号の一)および同博盟会人名簿と題する書面綴)(同押号の二)はいずれも犯罪行為(判示第八および同第一三)の用に供し又は供しようとした物であつて犯人以外の者の所有に属しないものであるから刑法第一九条第一項第二号第二項によつて全部これを没収する。

(無罪理由)

本件公訴にかかる昭和三六年八月二日付起訴状記載事実中第二の(二)の事実によれば、「被告人は昭和三五年九月一五日頃、伊勢崎市本町一丁目三〇番地バー「エムジイ」こと狩野幸子(三四才)方において、同女に対し「新築の店を始めるとぐれん隊その他の不良が出入りする、そして店をがたがたにされる、警備料を払えば俺が押えてやる」などと申向けて金員を要求し同女をしてもしその要求に応じなければ被告人らの輩下によつて営業上いかなる危害を加えられるかしれない旨畏怖させ、よつて別表第四記載のとおり同年一〇月一五日頃より同三六年二月二五日頃までの間五回に亘りいずれも被告人方で同女より警備料名義で現金合計四〇、〇〇〇円を交付せしめてこれを喝取したものである」というのであるが右の事実について取調べた証人狩野幸子の当公判廷における証言によれば、当時同女は家庭争議の結果、前夫と離婚し女手ながら右伊勢崎市内において相当派手にバーを経営しようと画策、奔走してをり、ために従前より交際のあつた被告人に一層接近し、被告人の同市内およびその周辺における不当な勢力を利用し、同女のバーの経営を有利にするかたわら、被告人自身に対しても少なからざる興味を持ちその歓心を買わんとしていたものであつて、被告人と酒食を共にしたり被告人の自動車に同乗し、飲食店に同伴してこれと遊興を共にする等、相当親密な交際を続け、ために近隣世人の噂にのぼる程であつて、右本件訴因に摘示せられた各金員は同女および同女の経営するバー「エムジイ」の営業上の交際費として被告人に供与したものであると明言している、しかして右事実について右以外に、右証人の証言を左右するに足る証拠は無い、しかのみならず、右証人の証言を綜合して考察すれば同女の当時の状況下における心境としては畏怖心にもとづいて前記金員を供与するという気持ではなかつたものと認定するに十分であり、他にこの認定をくつがえすに足る丈の証拠は無いものと断定せざるをえない。

それ故、右訴困については証明無きに帰する。よつて刑事訴訟法第三三六条後段によつて、この点については被告事件について犯罪の証明が無いから無罪の言渡をする。

(訴訟費用)

訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項によつて、証人狩野幸子に支給した分を除外し、その余の全部を被告人の負担とする。

(量刑理由)

被告人の犯歴、本件各犯行の態様、その他諸般の情状を考慮しかつまたその輩下の殆んど全部が多かれ少なかれ被告人を首領とする集団的勢威を利用し暴力行動に出で一再ならず処罰を受けていることは当裁判所に顕著な事実であるのにかんがみ、刑の均衡を考慮し前記の如くその刑を量定する。

以上の各理由にもとづき主文のとおり判決する。

昭和三六年一二月二二日

前橋地方裁判所刑事部

裁判官 藤 本 孝 夫

<別表省略>

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